世界なぜそこに日本人にインドネシアで「イシイ」と呼ばれる石井正治がある食材を広めたとしてとりあげられます。
石井正治(イシイ)の結婚について嫁(妻)・子供やWIKIプロフと経歴について見ていきます!
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目次
石井正治(イシイ)のWIKIプロフと経歴
名前:石井正治(いしい まさはる)
出身地:北海道出身
生年月日:1916年生まれ
石井正治さんは、中学校を卒業し、近衛兵に入隊したということですね。
兵隊だったのです。
中国に上陸した石井正治さん。
その後ベトナムへと渡るのです。
さらに、タイ、シンガポールへと進みました。
そしてマレーシアに渡ります。
第二次世界大戦の時期なのです。
まさに満州事変のときにまでさかのぼります。
最後に行き着いたのはインドネシア。
石井正治さんはインドネシアの元日本残留兵なのだ。
石井正治さんがインドネシアに残ったのはインドネシアに兵器を奪われないようにということ。
日本は戦争に負けることとなりました。
自らは人質に。
仲間を引き上げ船に乗せたということですから、石井正治さんはインドに残留兵として残らなければなかったのです。
このときの心境というのはいかなるものだったでしょうか。
この後監禁された石井正治さん。
日本軍の残留諜報部員の疑いをかけられたことが原因だった。
この監禁の期間は1年間。
辛く厳しいものだったでしょう。
このときなんと石井正治さんは中国系の家族に助けられたのだ。
これがのちに妻になる方の存在ですね。
その後、雑貨店を経営することとなります。
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石井正治(イシイ)の結婚(嫁・子供)
中国系の妻と結婚した石井正治さん。
ですが残留軍として戦っていた。
このときに4人の子供を妻は出産しているという。
長男はヤント
次男はヘンリー
二人でアンビコ社を引き継いでいる。
ヤントさんの長男であるジョハンさんが現在は工場長を務めているのです。
当時石井正治さんはゴム工場で働いていたそうです。
ゴムサンダルの製造の業務を行っていたのですね。
そして鹿島貿易に入社している。
これは工場と会社のダブルワークです。
労働のダブルワークがいかに大変か。
眠る時間も惜しむことなく仕事を行っていたことでしょう。
石井さんが残留諜報部員の疑いをかけられた時に助けてくれた家族の娘というのが妻になったクスマデリという方。
クスマデリさんは、亡くなっている。
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石井正治(イシイ)の広めた食材とは
これはこんにゃくということになるでしょう。
その当時、日本ではこんにゃくの価格が上昇。
こんにゃくの需要が高まっていたのだ。
現在でもダイエット食などにも人気がありますね。
このようなことがあり日本に対して輸出をおこなうということになったのだ。
理由としてはインドネシアで雇用を増やすことが目的として根底にあったという。
石井正治さんはインドネシアの国籍を手に入れることとなったのだ。
これが1964年のことだったといいます。
インドネシアで収穫できたものがなんであれ、日本に輸出するということができればおのずと雇用は生まれ、経済効果をもたらす。
素晴らしい発想ではないでしょうか。
石井正治さんの目的は達成されたわけです。
このような発想というのはそもそも石井正治さんのインドネシアに対する感謝の思いからスタートしているようです。
日本からきた残留兵としてインドネシアに残ることとなった石井正治さん。
そしてインドネシアでは石井正治さん受け入れられた。
感謝の気持ちを返すためにこのような動きをされたのですね。
インドネシアとの架け橋となった石井正治さん。
本当に素晴らしい日本人であることに違いありません。
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ムカゴこんにゃく芋について
コンニャクといえばおでん、肉じゃがには糸コンニャクやすき焼きが定番で合うでしょう。
その常識をくつがえしたのが「ぷるんぷあん」というこんにゃく。
「ぷるんぷあん」はインドネシアの高原に自生しているムカゴこんにゃく芋が主原料の農薬を使用していない安心食材なのですね。
臭みが無く、プリッとした食感なのでサラダや酢の物、炒め物にもよく合うのです。
熱湯に浸して5~7分待つだけで大丈夫ですね。
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石井正治(イシイ)の亡くなったのは?
石井さんは、2002年にインドネシアで亡くなったと言います。
ですが、多くの偉業を成し遂げているのです。
6つの会社を立ち上げたこと。
さらにグループ会長就任。
従業員数6000人。
まさにインドネシアで多くの雇用を生み出してきたすごい日本人なのです。
多くのインドネシア人を救ってきたとも言えるでしょうね。
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まとめ
石井正治さん、ほんとうにすごい日本人なのです。
グループを取り仕切るなどということは日本でもかなりたいへんなことなのです。
石井正治さんはこれをインドネシアで行った方なのですね。
こんにゃくを通してインドネシアで雇用を生み出す。
日本とインドネシア両方の利益になることをされてきたのです。
インドネシアに取り残されれば日本が嫌いになってもおかしくないとも思いますが、石井正治さんはそのような人間性ではないのですね。
現在は亡くなっておられますが、彼の偉業は語り継がれるでしょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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