今回、中西学選手が「かりそめ天国」に出演ということで注目が集まっています☆
中西学選手のプロフィールとともに、今現在や昔の若い頃にスポットをあてていきます!
プライベートでは中西学選手の朝食(モーニング)や性格に注目が集まりますが、どういうことなのでしょうか?
結婚やご家族(嫁・子供)にまでツッコんで見ていきたいと思います!
それでは早速♪
※この記事は2019年1月の情報を元に記事作成しております。
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目次
中西学の今現在について!
名前:中西学
身長:186cm
体重:120㎏
生年月日:1967年1月22日
出身地:京都府京都市
血液型:A型
得意技:アルゼンチンバックブリーカー、ヘラクレスカッター、マッケンロー
めっきりシングル戦がなくなった最近の中西学選手。
理由としては2011年6月の試合中に大怪我を負ったためだと言われています。
ジャーマン・スープレックスを食らって首から突き刺さり、リング上で動けなくなっていましたからね。
このとき、中心性脊髄損傷していたといいます。
当時、医者から車いす宣言をされていたほどだったそうです・・・。
人間離れした「野人」ですから厳しいリハビリを乗り越えて復活したわけで!
シングルはないでしょうけど、戻ってきただけでスゴすぎます!!
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中西学の昔の若い頃について!
中西学選手は若い頃、宇治高等学校時代からレスリングを始められました。
1989年から全日本レスリング選手権大会4連覇を達成していますから、若い頃から大活躍していたのです。
専修大学卒業後は和歌山県庁勤務を経て、1991年4月に闘魂クラブに入団していた中西学選手の若い頃。
1992年バルセロナオリンピックフリースタイル100kg級に出場した後に8月に新日本プロレスに入団したというのが中西学選手の若い頃の経歴ですね!
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中西学の結婚、離婚、子供について!!
2000年11月に結婚した中西学選手。
元横浜ベイスターズ監督近藤昭仁氏の二女であり、女優の近藤典子さんと婚約、結婚をするが2005年に離婚しています。
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中西学の朝食(モーニング)がスゴイと話題!
中西学選手の朝食はモンスターモーニングと呼ばれています!!
プロレスラーの中でも特に大食いとして有名な中西学選手。
朝食の量が尋常ではないのです!
中西学選手は朝も夜も関係ないのだとか!!
男らしいです!
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中西学の性格とは!?
中西学は自身の性格について次のようにコメントされています!
「オレのプロレスはストレートやが性格的にはまわりくどい」
中西学選手は自らの性格をこのように自己分析しているようです!
突然コスチュームを迷彩パンツにしたり、連日半裸でタクシーに乗車し逃亡するなどということがあったようです。
常人には理解不能といわれるその性格!!
それもまた魅力の一つでしょうか!!
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最後に
400年続く茶農家に生まれた中西学選手。
中西学選手は後継ぎの道を回避するために高校からレスリングを始めたそうです。
実家には、「大学卒業後に継ぐから」と言い残し、上京したといいます。
後継ぎ問題は五輪出場などもあり、うやむやになったのだとか・・・。
今現在は兄弟が実家を継いでいるということで、ある意味丸く収まっているのでしょう!
専修大学在学中にはレスリング・フリースタイル100キロ級で全日本選手権3連覇を果たすという戦績を残しています!
卒業後に関しては和歌山県教育庁を経て、新日本プロレスのアマチュア部門・闘魂クラブに入団されました。
オリンピックにも出場していて、1992年バルセロナ五輪に出場しています!
同年8月にプロ転向。
2ヵ月後の10月には7SGタッグリーグ戦での藤波辰爾のパートナーに大抜擢されました。
アマレスヘッドギアを装着しデビューして注目されていましたね。
95年からは米国メジャー団体、WCWにて“クロサワ”の登録名で活躍したとされています。
野人化したのは帰国後だった・・・。
ボブ・サップのプロレスデビュー戦の対戦相手としても知られています。
また、ボビー・オロゴンのレスリングの師匠でもあります。
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※追記【中西学選手の引退記事】(2020/4/15)
※追記(2020/4/15)中西学選手の引退記事になります、以下抜粋⇩
“野人”中西学(53)が引退試合で27年あまりのプロレス人生に別れを告げた。
新日本プロレスは22日、東京・後楽園ホールで「中西学引退記念大会」を開催した。
メインイベントの引退試合で中西は、天山広吉、小島聡、永田裕志と組んでオカダ・カズチカ、棚橋弘至、飯伏幸太、後藤洋央紀と対戦。
必殺のアルゼンチンバックブリーカーで棚橋を追い込み、雪崩式ブレーンバスター、トップロープからのダイビングボディアタックを繰り出したが最後は後藤のGTR、飯伏のカミゴエ、オカダのレインメーカーと相手の必殺技を全身に刻み、トドメに棚橋のハイフライフローで圧殺され野人は壮絶に散った。
バックステージで中西は、最後の試合で組んだ第三世代の天山、小島、永田と並んでコメントした。
引退後の人生を「ゆくゆくは長いこと続いている家業がお茶をやっていますんで京都の宇治茶を。その方をゆくゆくは兄と一緒に継いでいきたいと思っています」とふるさとの京都で父と兄が運営する茶園を引き継ぎたい計画を明かした。
一方で「ただ、今はプロレスに携わっていきたいと思うし、携わりながらでもお茶の仕事はできるはずですから。
せっかくやってきたことを生かしていきたいと思います。生かせるかどうか分からないですけど、何でもやるから一生懸命やるから、それしかないんで…とにかく今はそういう気持ちです」と披露していた。
引用:スポーツ報知
中西学選手、現役生活、本当にご苦労様でした!
今回は以上となります。
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