タツマル(杉山龍丸)の祖父と家族・両親(父・母)嫁(妻)子供とは?経歴(学歴)は少女との出会い!インドでユーカリ!死因は?【世界なぜそこに日本人】

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タツマルことグリーンファーザー杉山龍丸の祖父と家族である嫁(妻)子供・妻・両親(父・母)や子供についても調べてみました!

 

タツマル(杉山龍丸)のWIKI経歴(学歴)の少女との出会いはどのようなものだったのか!

 

さらにガンジー以来の偉人とでグリーンファーザーの異名を持つ杉山龍丸!

 

インドとユーカリについて、その死因についても見ていきましょう!

 

それでは早速!!

 

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タツマル(杉山龍丸)のWIKIプロフィールや経歴!!

 

 

 

名前:杉山 龍丸(すぎやま たつまる)

生年月日:1919年5月16日

出身地:福岡県福岡市

 

福岡県で3人兄弟の長男として生まれた杉山龍丸。

 

伊藤博文の懐刀と呼ばれた大物が杉山龍丸の祖父なのだとか!

 

祖父・杉山茂丸は明治時代に政財界で活躍していたスゴイ方なのですね!

 

父は幻想文学の第一人者とされる作家です!!

 

父・杉山泰道はペンネーム・夢野久作で知られています。

 

父もすごいんですね!

 

杉山農園」を所有していることでも知られる杉山家は福岡に4万6000坪にも及ぶ広大な農地を所有!!

 

父はそこで作物を育てていたといいます。

 

このことから杉山龍丸は、物心ついた頃には農園で父の畑仕事の手伝いをしていたのだとか。

 

父は杉山龍丸に次にように伝えていたという。

 

いつかはこの農園をアジアの為に使え

 

このように語っていたという。

 

父は作家として見聞を広げアジアの時代がくると信じていたという。

 

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杉山龍丸の学歴や父と祖父の死因とは?

 

 

祖父と父が脳溢血で相次いで急死

 

これは杉山龍丸16歳の時だったという。

 

母親と歳の離れた弟2人残されたのだ・・・。

 

16歳という若さで家を背負うことになった杉山龍丸。

 

このことから、杉山龍丸は18歳に士官学校に入学。

 

家族の生活費を得る為に給料の出る軍の学校に通ったわけです!

 

卒業する年に太平洋戦争が勃発したという。

 

杉山龍丸も飛行機の整備隊長として戦地へ赴任することとなったという。

 

肺を銃弾が貫通する重傷を負った経験があるという杉山龍丸。

 

生死の狭間をさまよったらしいですよ・・・。

 

こんななか、生き抜き終戦となったという。

 

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杉山龍丸の職業や結婚(嫁・妻・子供)と少女との出会い!

 

 

杉山龍丸は戦争から帰ってきた。

 

そして、厚生省援護局で問い合わせた家族に兵士達の生死を伝える仕事に就くこととなった。

 

日々訃報を届け生きる気力を失いかけていたという。

 

ある日、1人の少女が父親の生死を尋ねてきた。

 

少女の父親は帳簿の情報によると、

 

「フィリピン・ルソン島にて戦死」

 

となっていた。

 

涙をおさえきれなかった杉山龍丸。

 

だが、少女は静かに彼の言葉を受け止めたという。

 

杉山龍丸は

 

「幼い少女がこんな状況でも前を向いているのに俺はなんと情けないないのだろうか」

 

「俺はどんな逆境が来ようが絶対に諦めない」

 

このように心に誓ったといいます。

 

少女との出会いで不屈の精神が芽生えたのだ!!

 

これが杉山龍丸の後の人生を大きく左右することになった。

 

杉山龍丸は光子という女性と結婚。

 

子供は二人もうけたとされています。

 

ある日(36歳の時)士官学校時代の友人が16歳のインド人の青年の面倒を見てほしいと言ってきたという。

 

突然で強引だったが父の言葉である↓

 

「農園をアジアのために使え」

 

この言葉が頭をかすめた杉山龍丸。

 

杉山龍丸はインド人の留学生を無償で受け入れることとなった!!

 

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杉山龍丸は全財産を投げ打ち飢餓に苦しむ数十万人のインド人の命を救い、ガンジー以来の偉人!!

 

 

人一倍働いたインド人の青年。

 

インドは慢性的な食糧不足だった。

 

杉山龍丸は次のように思ったという。

 

インドの困っている人たちを助けたい

 

 

 

杉山龍丸は42歳の時インドへ渡った。

 

インドの大地は飛行機の窓からみても荒れ果てていたといいます。

 

農作物が育つ環境から整えなければならない状況。

 

杉山龍丸の最初の目標は荒れ果てた土地に緑を増やすこととなった。

 

デリーとアムリッツァルを結ぶ国際道路沿線一帯は水が豊富にあると考えた杉山龍丸。

 

実際に行ってみると見渡す限り荒れ果てた土地だったという・・・。

 

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杉山龍丸の新たな職業は植林事業!?

 

 

ユーカリの木を植林することにしたという杉山龍丸。

 

ユーカリは水を吸い上げる力が強い。

 

杉山龍丸はここに目を付けたのです!

 

根が深いユーカリを植林することで地中に張った根が水を貯め土壌を潤すわけです。

 

このことで作物を育てることが出来るようになるというのが杉山龍丸のイメージだった!

 

植林を手伝ってもらえる村人はいなかったという。

 

だが、杉山龍丸はあきらめなかった。

 

いつも杉山龍丸の心にはあの少女の強い瞳が脳裏に焼き付いていたことでしょう。

 

ひたむきな杉山龍丸の姿に村人は植林を手伝うようになっていったという!!

 

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杉山龍丸はグリーンファーザー!!

 

 

国連本部に援助を願い出た杉山龍丸。

 

餓死者はゼロと発表していたインド・・・。

 

身分の低い人々に戸籍がなかったのだ。

 

杉山龍丸は農園を全て売却した!!

 

このことでシュワリックレンジの緑化を進めたといいます・・・。

 

 

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杉山龍丸の死因とは!?

 

 

杉山龍丸は脳溢血で亡くなった。

 

これが1987年の事だったという。

 

インドの緑の普及に人生をささげた杉山龍丸。

 

途中での死去は心残りだったかもしれない。

 

だがインドの人達は杉山龍丸の不屈の遺志を受け継いでいた!!

 

シュワリックレンジの植林を続けたインド人たち。

 

シュワリックレンジは現在、一面緑の木々に覆われている!!

 

グリーンファーザー杉山龍丸。

 

シュワリックレンジは現在農業も可能になっている。

 

糧に困ることがなく生活は豊かになった。

 

インド全土で作物の生産量は当時の約3倍になったという!!

 

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最後に

 

 

現在ユーカリが生えているかつての不毛の大地。

 

470kmにわたって約26万本の樹が並ぶ道。

 

下水を吸い上げ大地を潤すユーカリの木。

 

麦や芋の栽培も可能となり稲作がおこなわれている。

 

インドの人々に「緑の父」と称えられる杉山龍丸。

 

緑化に成功し尊敬の念を抱かれているのだ。

 

杉山龍丸はインドの州政府に呼び出されたことがあったという。

 

シュワリックレンジを救って欲しい

 

という依頼だったのだとか。

 

ヒマラヤ山脈の裾野に広がる全長3000kmにも及ぶ地帯シュワリックレンジ。

 

土が乾き大規模な土砂崩れが長年起き続けている荒れ果てた斜面の丘。

 

政府は不毛の地だが緑に変え農作物が取れるようにしたいと考えたわけです。

 

杉山龍丸は引き受けた。

 

だが途中大干ばつにより植林を進める資金がつきてしまったといいます。

 

これは非常に悔しかったことでしょう。

 

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