山田寅次郎(宗有)の結婚と家族である嫁(妻)子供は?経歴(トルコ偉業)プロフィール!(世界なぜそこに日本人)

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世界なぜそこに日本人!日本の偉人“トラジロウ”ということで山田寅次郎(宗友)がとりあげられます。

 

 

山田寅次郎はた“ある歴史的偉業”を成し遂げた日本人ということでとりあげられますが、どのような方なのか、WIKIプロフィールや経歴について調べてみた!

 

 

さらに約120年前に1人の日本人男性がトルコ人の命を救ったという偉業の内容に関してみていきます。

 

 

33年前のトルコ航空による「奇跡の日本人救出劇」

 

 

ルコの人々が尊敬し感謝している山田寅次郎結婚して家族である嫁(妻)子供がいるのか問うことに関しても調べていきます!

 

 

それでは早速!

 

 

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山田宗有(寅次郎)のWIKIプロフィールや経歴について調べてみた!

 

 

 

 

名前:山田 宗有(やまだ そうゆう)

本名:山田寅次郎

生年月日:1866(慶応2)年8月23日生まれ

死去:1957(昭和32)年2月13日

職業:実業家・茶人。

 

 

沼田藩の江戸上屋敷で沼田藩用人・中村雄左衛門(莞爾)の次男として出生したというのが山田寅次郎の人生のはじまりとされています。

 

 

茶道宗徧流の第8世家元である山田寅次郎。

 

 

家元継承以前の山田 寅次郎(やまだとらじろう)の名で実業界でも活躍していたということですから、かなりのやりてだったことにまちがいありません。

 

 

日本とトルコの交流に深く関わることとなったのが1892(明治25)年にエルトゥールル号遭難事件の義捐金を届けにトルコに渡って以来だったといいます。

 

 

1881(明治14)年に宗徧流家元山田家に養子入りしたとされています。

 

 

宗徧流は、山田寅次郎が生まれるより以前に6世家元の山田宗学が死去し、その妻が7世を継いで山田宗寿と称していたのです。

 

 

だが宗学夫妻の間には後を継ぐ子供がいなかった

 

 

このことから後継ぎとして寅次郎が迎え入れられたというのが養子の経緯なわけです。

 

 

ですが山田寅次郎は茶道の家元を若くして継ぐ意志に乏しかったというのがほんしんだったようです。

 

 

1883(明治16)年に家元で義母の山田宗寿が亡くなった後も家元を襲名することはなかったのだとか。

 

 

茶道は高弟の中村宗知に任せていたのですね。

 

 

山田寅次郎は言論界に興味があったことからこのような世界にはいったということです。

 

 

このことから陸羯南、福地源一郎らと交流を深めることとなったというわけです。

 

 

東京で書生として暮らしていた。

 

 

さらに政治活動・出版事業といった活動もおこなっていたということです。

 

 

幸田露伴の処女作を出版社の金港堂に売り込んだということもあったといいます。

 

 

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33年前の奇跡の日本人救出劇ってどういう事!?

 

 

 

 

これはイラン・イラク戦争中ですから当時1985年3月に緊急事態があったといいます。

 

 

イランのサダム・フセイン大統領のコメントが恐ろしいですが。

 

 

「今から40時間後をタイムリミットとしてこれ以降終戦までの間、

イラン上空を飛ぶ航空機は軍用機であろうと民間航空機であろうと、

いかなる国の機体であろうとすべて撃墜する」

 

 

このようなことがあったようです。

 

 

これは世界が驚いたのです。

 

 

世界中で自国民を救出するために救援機を出したといいます。

 

 

だが日本政府だけが後れを取ったのです。

 

 

各国にかけあうが絶望的な状況だったといいます。

 

 

イラン在駐215名の日本人が空港に取り残されたのだ。

 

 

期限は40時間・・・。

 

 

イラン大使館の駐日大使がトルコ大使館の大使に窮状を訴えたといいます。

 

 

日頃から親交があったことからかトルコは即座に対応してくれオザル首相は特別機を2機飛ばしてくれることとなった

 

 

トルコ航空をイランに派遣しなんとタイムリミットの1時間15分前にイランを脱出しトルコ領空へ216名の日本人全てを退避させることに成功したということです。

 

 

日本人を命がけで救出してくれたイラン大使館の駐日大使。

 

 

印象的な言葉として。

 

 

「あの時の恩を返す時が来た」

 

 

これは120年前のトルコ人救出劇のことにほかならないわけです。

 

 

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120年前のトルコ人救出劇が壮絶!

 

 

 

 

これはトルコ戦艦エルトゥールル号が来日したということです。

 

 

さかのぼる事1890年に日本とトルコの親善のためだったのですね。

 

 

明治天皇に拝謁し、9月15日に横浜港を出航した

 

 

日本は出航を進めなかった。

 

 

これは台風接近に伴う日本の判断でもあった。

 

 

だが事情があり帰国予定が大幅に遅れていたこともあり仕方ない出航でもあったといいます。

 

 

エルトゥールル号は台風に遭遇し、座礁してしまったのだ。

 

 

いたトルコ人650人が海に投げ出された

 

 

生存者63名・・・。

 

 

村を上げてトルコ人の救出にあたったとされる大島村民。

 

 

食料はなかったが衣類、卵・サツマイモ、非常食用のニワトリすら食事として提供したとされています。

 

 

必死の救護が行われた。

 

 

生存者は神戸の和田岬消毒所に収容されたという。

 

 

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山田宗有(虎次郎)がトルコの人から偉人と呼ばれるわけがヤバイ!

 

 

 

 

エルトゥールル号の遭難事件は衝撃的な事件だった。

 

 

これは1890(明治23)年の事件です。

 

 

山田寅次郎は当時時24歳で多感な青年であったとされています。

 

 

衝撃を受けた山田寅次郎は民間から義捐金を集めて犠牲者の遺族に寄付することを思い立ったのだといいます。

 

 

日本新聞社の陸羯南に働きかけて募金運動をはじめたというのです。

 

 

そして日本中で演説会をして回り2年で現在の価値で1億円の寄付を集めたとされる山田寅次郎。

 

 

トルコへ送金するつもりだったといいますが外務大臣の青木周蔵と面談したのだとか。

 

 

この時の結果トルコに自ら持参することを勧められたということでした。

 

 

海外に興味があったとされている山田寅次郎。

 

 

フランス語・英語・ドイツ語・漢学を取得していたという。

 

 

1892(明治25)年4月。

 

 

山田寅次郎はオスマン帝国の首都イスタンブールに到着。

 

 

このとき義捐金を携えてということです。

 

 

外相を訪ねて義捐金を届けた山田寅次郎。

 

 

瞬く間にトルコ国内に知れ渡ったこの内容。

 

 

イスタンブールの官民から熱烈な歓迎を受けたこはもちろんうなずける内容です。

 

 

皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する機会も得たという山田寅次郎。

 

 

本当にすごい方です。

 

 

中村家伝来の甲冑や大刀は現在もトプカプ宮殿博物館に展示されているんだそうですよ。

 

 

イスタンブールにしばらく滞在していたそうですがイスタンブールに留まって事業を起こすことを決意した山田寅次郎。

 

 

発想が桁外れですね!

 

 

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山田寅次郎は結婚して家族である嫁(妻)子供はいるのか!?

 

 

 

 

1899年に一時帰国したとされる山田寅次郎。

 

 

結婚して家族である嫁(妻)子供はいたということがあきらかになっています!

 

 

大阪の中村商店の経営者である中村久兵衛の娘中村たみと結婚したということです。

 

 

さらに子供もいるということですが妻子は大阪に置いたまま日本に落ち着くことはない状態だったのだとか。

 

 

イスタンブールにおいて日土両国の政府関係者と繋がりを持っていた山田寅次郎。

 

 

トルコにおける日本の便益を図っていたことでも知られています。

 

 

日本の「民間大使」とも称されているほどです。

 

 

アブデュルハミト2世からムスリム(イスラム教徒)名をつけてももらったとされていますが。

 

 

トルコ人が呼びやすいんだそうですね。

 

 

「アブデュルハリル山田パシャ」

 

 

トルコの友人はこのように山田寅次郎を呼んだといいます。

 

 

関連記事はこちら

西村邦人WIKI経歴のプロフは嫁・子供を放置!なぜサムライにこだわる!?

 

 

最後に

 

 

山田寅次郎。

 

 

本当にすごい方なのだなとつくづく思います。

 

 

山田寅次郎は仕事が忙しく家族である嫁(妻)子供は大変だったかもしれませんね。

 

 

本当に尊敬に値する日本人です!

 

 

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